後塵録(著 黒水武夫)研究

後塵録 (全國謄寫技術者代表銘鑑)
日本謄寫美術協會・黒水謄写堂 黒水武夫
1947年

終戦後の混乱している昭和22年7月に、北九州・八幡の黒水武夫(黒水謄写堂・日本謄寫美術協會)は、全国のガリ版(謄写版)の達人たちの安否を確認し、連絡をとって112名の人名録を作った。

「後塵録」(全國謄寫技術者代表銘鑑)

黒水武夫氏は、終戦で家に戻ると、家は焼け、愛する長男を失い、途方に暮れ、座り込んで考えていた時、瓦焼け瓦の下から可愛い若芽が元気よく顔を出しているのに気づき、鉄筆を握って再び立つ決心をします。

「ぼんやり月日を送る時ではない。祖国日本の建設途上、医者はもっと医学を勉強して欲しい、我々は我々の責任を完うしよう。各自の職務を忠実にやっているかどうか返事を聞きたい。我々後塵録に連なるものは誠意を以て礼を厚く 人情細かく 睦まじく、明るく生活しよう」

後塵録の最後に

「拙者死後の後塵録は必らず誰かで刊行する様希望する」

と書いてあります。

北九州から日本中にガリ版を発信した人もいます。

北九州からガリ版を文化として、後世に残すため、ガリ版の波を起こしましょう。

そして、いつかこの先、ガリ版(謄写版)が世界遺産・世界の記憶に登録されることがあるかもしれません。

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